「ホロコーストの兵器化」とは 現代イスラエル人の精神性を理解する

イスラエルを批判することは、どこまでが正統で、どこからが「反ユダヤ主義」なのかーー。批判が「タブー視」される中、イスラエル出身のホロコースト研究者として、元イスラエル軍将校として、そして歴史家として向き合ってきたがの、オメル・バルトフ教授だ。ホロコーストがいかにイスラエルの国家ナラティブとして「武器化」されてきたか、そしてそれが現在の戦争にどう作用しているかを聞いた。
曽我太一 2026.05.23
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イスラエル政府は長年、自国への批判を「反ユダヤ主義」と結びつけるレトリックを駆使してきた。ホロコーストに対する重い責任を負う欧州は、普段は人道主義を重視する姿勢を見せながら、ことイスラエルとなると、このレトリックを恐れ、批判の姿勢は後退する。やがてイスラエル批判はタブーに近い扱いを受けるようになっている。

そのタブーに、正面から向き合う歴史家がいる。世界的なホロコースト研究者で、ブラウン大学教授のオメル・バルトブ氏だ。バルトブ教授が問い続けるのは、ホロコーストがいかに政治的に「利用」されてきたか、いわば「ホロコーストの兵器化」とでも呼ぶべき問題だ。ホロコーストはかつて、イスラエル社会において「弱いユダヤ人の象徴」として、むしろ忌避される傾向があった。それがいつしか外交の最前線に押し出され、批判封じの盾として機能するようになる。バルトブ教授はその過程が、イスラエル人自身の精神性や集合的アイデンティティをも静かに変容させてきたと指摘する。

バルトブ教授は、イスラエルに批判的な知識人の中でも異色の存在だ。多くの左派歴史家とは異なり、イスラエルという国家の存在そのものを否定するわけではない。レバノン戦争には歩兵として従軍し、中隊長まで務めた軍人でもある。その経験を持ちながら、現在のイスラエルの行動を内側から鋭く問い直す。それがバルトブという人物の際立った点だ。

イスラエルによるガザ地区への攻撃が続く2024年、筆者はバルトブ教授にインタビューする機会を得た。慎重な立場を維持しながらも、ガザへの攻撃とパレスチナ占領という事実を厳しく批判してきた教授に、「ホロコーストの兵器化」という表現の真意を直接問いたかったからだ。2024年6月にオンラインで行われた、1時間を超えるその対話をあらためて紐解く。

***

「占領」という根本原因を直視しない社会

ーー現在のガザ戦争をどう分析していますか。

戦争はあらゆる観点から見て惨憺たる状況にあります。イスラエル政府が掲げた「人質の解放」と「ハマスの壊滅」という目標は、どちらも達成されていない(筆者注:その後、2025年11月には遺体も含めて全ての人質が解放されたが、この間に多くの人質が死亡した)。軍事的にはほぼ無成果であるばかりか、外交的にも深刻な打撃を受けた。イスラエルは今や戦争犯罪、人道に対する犯罪、そして潜在的な集団虐殺の容疑で国際社会から断罪されています。

なぜこれほど戦争が失敗しているのか。根本的な問題の分析を誰もしていないからです。ネタニヤフ首相は権力の座に留まり続けることが最大の目標であり、戦争の継続がそれに資する。その右に控えるのは、パレスチナ人の民族浄化と「大イスラエル」の実現だけを夢見る終末論的なイデオローグたちです

問題の本質に立ち返れば、これは占領の問題です。その根本を直視しないかぎり、爆弾でこの紛争を解決することは不可能です。しかしイスラエル社会の多くの人々ーーネタニヤフ支持者に限らず、労働党支持者も含めてーーは、その現実を認めようとしない

インタビュー中のバルトブ教授

インタビュー中のバルトブ教授

ハマスを「ナチス」と呼ぶことの歪み

ーー10月7日のハマスの攻撃が、イスラエル社会にホロコーストの記憶を呼び覚ましたと言われています。

今日のイスラエル人のほとんどは、ホロコーストを個人的に経験していません。これは個人の体験ではなく、世代を超えて伝達された集合的な反応です

10月7日の攻撃後、イスラエルのメディアはハマスを「ナチス」と呼び、アメリカのキャンパスでの反戦抗議運動を「反ユダヤ主義」と断じ、10月7日の出来事を「ホロコースト以来最大のユダヤ人虐殺」と表現しました。しかしこれらの言葉は、現実を説明するためではなく、現実を歪めるために使われています。

ハマスはナチスではありません。不快な組織であることは確かですが、ナチスとは全く異なる何かです。そして10月7日は、いかなる意味においてもホロコーストに類するものではない。

ホロコーストにおけるユダヤ人は、様々な国で少数民族として、自らの軍隊も警察も戦車も飛行機も持たない無力な存在でした。だからこそドイツのような大国に虐殺された。ところがイスラエルはまさに、そうした無力さへの回答として建国された国家です。「私たちは自分たちの軍隊を持ち、自分たちで自分たちを守る」という宣言こそが建国の論理でした

ならば10月7日に何が起きたのか。国家は自国民を守るという第一の義務を果たすことに失敗した。それはハマスがナチスだからではなく、イスラエルが傲慢で、無能で、対応が遅すぎたからです。ホロコーストとは何の関係もない。にもかかわらずその類比が機能するのは、イスラエル社会が「占領」というこの問題の真の根源を直視したくないからです。

「羊のように屠殺へ」 タブーから政治的道具へ

ーーホロコーストの「武器化」は、いつどのように始まったのでしょうか。

最初からそうだったわけではありません。建国当初、イスラエル社会のホロコーストへの態度は、むしろ恥と不快感に満ちたものでした。「彼らは羊のように屠殺に向かった」という言説が支配的で、ホロコースト犠牲者はワルシャワ・ゲットー蜂起の英雄たちとは対照的に、新生イスラエルの「逞しい新人」のモデルにはならないと見なされた

転機はいくつかありました。

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